ロミロミとは
ロミロミはハワイ伝統のマッサージであり芸術性を持ったマッサージです。
その技術は、一族の間でクプナと呼ばれる長老により子孫の中からロミロミ継承者が選ばれ、
その選ばれた継承者から継承者へと代々受け継がれてきました。ロミロミは身体に関する技法のみでなく霊的な要素が強く、
祖先や守り神(アウマクア)とのつながりを持つ事を大事にしています。
ロミロミの考え
ロミロミにおいて身体、精神、感情の関係性はもちろん大切ですが、霊的な部分が最も重要視されます。というのもハワイアンは、身体と精神と魂のバランスが取れて健康が保たれ、そのバランスが崩れると様々な病気や痛みとして身体に不調が現れると考えました。スピリチュアル的なバランスを悪くし精神的に不安がある時などは、身体の悪いエネルギーの浄化が必要となります。そこで、ロミロミを通し良いエネルギーを与え悪いエネルギーを浄化させるパイプ役になるのがロミロミのセラピストなのです。
ロミロミの中身
ロミロミマッサージで行うストロークの手技は、目に見える
わずかな部分であり、以下の4つが重要だと言われています。
Pule:お祈り
お祈りの目的は、癒しが出来る様にパイプ役となれるように準備する事です。
Pono:道徳、正義
ロミロミのセラピストは人を癒す前に自分を正さなければなりません。
Ha:呼吸
通常呼吸をしますが、広い意味では生命を意味します。
Na’au:マインド、直感
Na’auとはハワイ語ですべてのものと繋がる場所。
ホ・オポノポノ(Ho’oponopono)とは
ハワイ語の辞書によると”精神的クレンジング:祈り、話し合い、懺悔、悔い改め、互いの気持ちを分かり合い、
許し合うことによって関係を整える家族の話し合いと定義されます。
ホ・オポノポノとは古代ハワイの「和解」と「許し」の為の智慧であり、神聖な儀式でした。
「ポノ」とは、ハワイ語では、「正しい」という意味。「本来の自然なあるべき状態、正しい状態にすること」がホ・オポノポノ。
ハワイの伝統的世界観では、病気や不幸は、人々と神との関係が、こじれたことが原因だという考え方をし、
人が重い病気にかかると、神々との関係を取り戻すために、家族間の感情の乱れを元に戻さなければならないと考えられてきました。
ホ・オポノポノの「ものごとを元に戻す」という意味は、そこから由来をしているのです。
HISTORYロミロミの歴史
ハワイにおけるロミロミの起源
ロミロミ、いわゆるハワイにおけるマッサージにあたる行為は、
無人島であったハワイに、移民が持ち込んだ知恵、技術が起源となっています。
移民の歴史は、紀元 3 世紀から 4 世紀にまで遡ります。ハワイの遥か南にはタヒチがあり、
その北東に位置するマーケサスからの移民が、最初の移民と言われています。
その後、多数のタヒチ人が続き、さらに西側の島々から次々と人々が渡ってくることになります。
ハワイでは、最初の移民が渡って来てからの 1500 年を越える歴史の中に、人々と共にロミロミが存在し、
長い年月を経て現在に受け継がれてきた、大切な文化遺産とも言えます。
古代ハワイで、ロミロミを施していた人々
古代ハワイでは、一般の人々は日常的に、お互いにロミロミを行っており、「各家庭に各ロミロミのスタイルがある」というように、
統一された形式があったわけではありませんでした。王族も召使いからロミロミを受けていました。
その中から、特にロミロミの技術の訓練を受けた専門家が誕生し、医者として活躍しました。
また、「ルア」と呼ばれる、ハワイ独自の武術の世界では、戦争に備えて様々な訓練が施される中、骨折などの怪我を負った味方を助ける為にも、
骨格や筋肉の知識が必要なことから、ロミロミが学問として学ばれていました。
「医療」の一環としてのロミロミ
現代のロミロミは、リラクゼーションを得ることを目的の一つとして行われていますが、古代ハワイにおいては、さらにそれに加え、
「医療の知識」、「医療行為の一つ」としての大切な役割を果たしており、その知識や技術は、人々の生活に大変密着したものでありました。
医療行為としてのマッサージを専門的に行う専門家は、カフナ・ロミロミと呼ばれます。カフナとは、あらゆる専門家のことを指す言葉で、
例えば、カヌーを専門に作るカフナはカフナ・カーライ・ワア、建築家はカフナ・クヒクヒ・プウオネ、医者はカフナ・ラパアウというようになります。
医者はさらに、現代と全く同じように、小児科、婦人科など、各専門に細かく分かれていました。
カフナになる人々は、幼い頃から、その人格や特技などを観察された上で選ばれます。早い場合は、5 歳位からカフナになるべく訓練を受け始め、
大人になる頃には、十分その道を熟知した専門家として、活躍することになります。
古代ハワイにおける「病気」とは
前述のカフナ・ロミロミの活躍の様子を知るには、古代ハワイアンの、「病気」に対する考え方を理解しておく必要があります。
タヒチからの大量移民が始まったおよそ 1,000年前の航海の様子は、どのようなものだったのでしょうか。
タヒチとハワイの距離は、およそ4000キロ。その距離を、約1ヶ月間かけて船で渡ってきます。その1ヶ月を、人々は生き抜かなければなりません。
そのため乗船前には、長い時間をかけて、水や食料が無くなったとしても生きていけるような訓練、体つくりをしていきます。
したがって、過酷な長期間の船旅を生き抜いた「健康体である人々」によって、初期のハワイ社会が築かれたと言えます。
そういった素地の上、周りを完全に海で囲まれ、孤立した場所にあるハワイには、世界で人々を苦しめるウイルスやバクテリアなども進入する機会もなく、現代社会に比べて、病気になる機会自体が、少なかったと言えます。
それでは、古代ハワイ社会において、「病気になる」ということは、どういったことだったのでしょうか。
前述のように、外部からウイルスやバクテリアが体内に入る機会が少ないハワイでは、病気は、敵や、敵の魔術師による呪い、悪霊の仕業、あるいは、敵対する人に対する憎しみや嫉妬といった個人の意識から生まれるものと信じられていました。
人はそれぞれ、「マナ」と呼ばれるスピリチュアルな力を持ち、そのパワーが上記のような事柄によって失われることで、
病気になると思われていた為に、その病気を治す為に重要だったのが、ホオポノポノと呼ばれる「メンタル・クレンジングのプロセス」でした。
治療の方法
古代ハワイの社会の宗教は、キリスト教のような一神教ではなく、大地、海、溶岩など、自然のあらゆる物に神が宿るという考えでした。
その為、カフナは、それぞれの仕事を遂行するにあたり、必ず、神に祈りを捧げ、神の許しを得る必要がありました。
治療を始めるにあたり、カフナ・ラパアウ(医者)による「カウンセリング」が施されます。「精神がまず健康にならなければ、体は健康を取り戻せない」という考えのもと、患者とその家族全員が揃い、自らが持つ嫌な思いや嫉妬心など、全て吐き出させます。
カフナ・ラパアウは次のステップとして、カフナ・ロミロミによるマッサージを施します。
このマッサージこそが、疾患部位を発見する為に用いられた手法であり、その正確さは、後の欧米人も驚くほどであったといいます。
時には患者を、湿度を上げた部屋に寝かせ(プーホロ:ハーバル・スティーム・バス)、丸い溶岩の石を背中とかかとの上にのせ、
転がしたり滑らしたりしながら、マッサージを施します。
その際、前述の通り、自然界の神の手助けによって治療が施されますので、
カフナによる神への祈りは、施術前から施術後まで、一 貫して行われていました。
疾患部位が確定したところで、さらに専門のカフナが患者を診断し、その後必要に応じて薬剤師にあたるカフナが、薬を調合して与えていきます。
このように古代ハワイの人々は、自然界の神々の力を敬い、その力を借りることで体内から失われたマナを取り戻し、治療をし、健康を保っていました。
キリスト教の伝来とハワイ文化の衰退
文字を持たない古代ハワイの人々は、この、生活に密着したロミロミを、口承で次世代に、次世代にと大切に継いでいきましたが、1778年のキャプテン・クックの到来以降、欧米人との接触が、ハワイの社会に少しずつ影響を与えていきます。
1795 年のカメハメハ大王によるハワイ統一後は、大王の意向により、カプと呼ばれる厳しい社会制度によってハワイの文化、習慣は守られていましたが、欧米の様子を知ってしまった王妃によって、大王が死を迎えた 1819年、この厳しすぎるとも言えるカプ制度が崩壊する事態となりました。
各地に存在した数々の神殿も破壊され、この時点で、カフナの地位も無くなります。
ちょうど時期を同じくして、翌年の1820年には、ボストンからやってきたアメリカ人宣教師がハワイに到着し、布教を始めます。
王族も次々とキリスト教徒となり、社会制度そのものも欧米化していく過程で、古代ハワイの文化、習慣は、社会から次第に衰退していくことになります。
ただ、ロミロミの技術は完全に無くなることなく、家族の間で受け継がれ、生き延びていました。
1893 年、リリウオカラニ女王を最後に、ハワイ王国はアメリカ人を筆頭に、国内の欧米人によって終焉を迎え、「ハワイ共和国」が設立されます。
アメリカ人知事による新政府は、ハワイ語の使用やフラを含め、様々なハワイの文化、習慣の締め出しを図りました。
しかしここでも、ロミロミの技術は、家族間、あるいはハワイアン同士のコミュニティーの中で、こっそりと受け継がれていきました。
ハワイ文化リバイバルの動き
こういったハワイ文化にとっては苦難の時期に、大きな転機が訪れたのが、1960 年代中頃以降の、ハワイ文化リバイバルの動きです。
1950 年代後半、アメリカ本土におけるそれまでの白人至上主義に対し、黒人や有色人種が権利の平等を訴えた公民権運動の影響を受け、
ハワイアンが自らの価値、自らの持つ文化の価値に気付き、それを社会に復活させようと動き出したのです。
ロミロミの世界では、「ロミロミの技術は家族間、ハワイアンのコミュニティー内での伝承のみ」としたハワイアンによって、強い批判にさらされながらも、1973 年には Auntie Margalet Machad(マーガレット・マシャド女史)が家族に伝わっていた伝統的なロミロミを、公表するに至ります。
マシャド女史のトレーニングを受けた多数の人々が、ハワイ各地で、あるいはハワイに留まらず、海を渡り、ハワイ伝統のロミロミの歴史を継いでいきました。
これにより、ハワイアンのコミュニティーのみという、閉じられた世界で受け継がれてきたロミロミが、大きく世界に広がっていくことになります。
さらに、ハワイ文化の復活を決定的にしたのが、1978 年のハワイ州憲法会議です。
この会議の決定によって、ハワイ語が公用語として認められたことで、その後に作られた道路には、ハワイ語の名前が付けられるようになったり、
学校でハワイの文化が教えられるようにもなっていきました。
ハワイ王国の終焉をもって、ハワイがアメリカ人の手に渡ってから苦難の時を迎えていたハワイ文化は、
ハワイの人々の手で、しっかりと守られていくことになったのです。
無人島のハワイに、新しい社会を築いた移民達によってもたらされたロミロミ。
人々の命をも救う大切な役割を担っていたその文化は、その長い歴史の中で困難にさらされながらも、しっかりと生き延びてきました。
ハワイアンが守り続けてきたこの文化、ロミロミの歴史は、決して絶やしてはいけないものでしょう。
その重要な文化継承の担い手は、他ならぬ、ロミロミの技術を学ぶ皆様なのです。
効果・効用
- 1首や肩のコリを解消する
- 2血液循環をよくする
- 3内臓機能の正常化
- 4リンパを流しむくみを取る
- 5冷え性の改善
- 6自然治癒力・免疫機能向上
- 7新陳代謝アップ
- 8ホルモンバランスを整える
- 9緊張緩和
- 10ストレスから解放
- 11疲労回復
- 12デトックス効果
- 13脂肪燃焼・ダイエット
- 14癒し・リフレッシュ・気分転換
- 15美肌・美容効果